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ヒロシマナガサキ被爆から72年。いま日本のみんなと考えたいこと。

 

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昭和20年(1945年)

8月6日08時15分。

8月9日11時02分。

そう、72年前のお話。

皆さんはこの日とこの時間を見て、ぱっと思い浮かぶものがあるでしょうか?

 

目次

 1945年8月。それは晴れた暑い日だった。

 

昭和20年(1945年)8月6日08時15分。

人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。

 

原爆によって被ばく直前の人口状況がわかる資料が消失してしまったり、当時の広島は疎開によって人口が流動的であったりしたことが理由で、現在でも正確な数はわかっていませんが、1945年12月末までに当時約35万人いた市民や軍人のうち、約14万人が亡くなられた推計されています。

 

その3日後、8月9日11時02分。

長崎にも原子爆弾が投下され、同年12月までに人口24万人のうち、およそ7万4千人が亡くなったと言われています。

 

その場で命はとりとめたものの、多くの人が原爆によってもたらされた熱線や爆風、放射線による原爆による被害に苦しみました。

 

大量に放出された放射線によって、広島は8月6日の原爆後
「75年間は草木も生えぬ」
とまでいわれるほど無残で悲惨な状態でした。

 

そんな状況でも広島市民は復興を諦めず、住宅の建設、学校の再開、ライフラインの確率などに取り組み、食料や生活必需品が集まる「ヤミ市」が広島駅前などに開かれたそうです。

 

人々は変電所の修理を必死に行い、6日当日には鉄道が復帰し、8日には日銀広島支店が営業を再開し、9日には路面電車が運転を再開しています。

 

一瞬にして焼け野原に変わったヒロシマの街で、それでもあきらめず、生きるために、国のために、強く立ち上がってくれた人々がいたからこそ、わたしたちは72年経つ今、完全に再建された広島の地を踏むことができるんだと、そう感じます。

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わたしが小学生のころと、大学に行って気が付いたこと。

わたしが小学生のころ、わたしが通っていた広島の小学校は、夏休みの登校日は8月6日、ヒロシマ原爆の日でした。登校日には「平和学習」が必ずあって、戦争についての映画を観て、折り鶴を折って。体育館でクラスで折った千羽鶴をささげ、代表が平和公園にそれらを持っていくというのもありました。

 

今でも広島と長崎では、8月6日と8月9日にはそれぞれ平和式典が平和公園で行われ、時間になるとサイレンが町中に響き渡り、1分間の黙とうを行います。

 

生まれてから高校卒業まで広島で過ごし、その後4年間の大学生活を長崎で過ごした私にとって、8月6日、9日の黙とうは「あたりまえ」のことでしたし、毎年8月の平和学習も、日本全国で行われていると思っていました。大学で様々な出身県の人と出会うまでは…。

 

長崎の大学に行って、北海道から沖縄まで、日本各地から来た友達ができました。

彼らの中には、ヒロシマナガサキの原爆について知っている人もいれば、知らない人も多くいました。そこで初めて、「原爆投下の歴史」は日本中のみんながみんな、詳しく知っているものでもなければ、原爆や戦争、平和について学ぶ機会が同じように与えられているわけではない、ということに気が付いたんです。

 

戦争を体験した世代がどんどん減っていく中で。

戦後72年。

当時10歳だったわたしの父方のおばあちゃんはもう82歳。もうおばあちゃんです。

 小学生くらいのころ、戦争を経験した世代の人に戦争の時の話を聞いてくる、という宿題がでて、この話を聞いたのを覚えています。

食べるものもなくて、芋のツルや、ほとんどお米の入っていないおかゆをよく食べていたと言っていました。

 

母方の私のおばあちゃんは、「あの時のことは思い出したくないけれど、鮮明に覚えている。」と一度私に言いました。それから私は戦争についての話は聞いていません。

 

先に書いたように、日本人でも、「原爆」についてあまり知らない人たちも多くいる、ということには大学生の時に気が付いたんですが、2015年のNHK世論調査で、全国の男女それぞれ1,000人を無作為で抽出して調査が行われたようで、その結果にまた驚きました。

その結果がこちら↓↓

まず、広島に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月6日」と正しく答えられた人は、広島で69%、長崎で50%、全国で30%でした。また、長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月9日」と正しく答えられた人は、広島で54%、長崎で59%、全国で26%でした。

「原爆投下の日、7割が不正解」 NHK調査は年月日を聞く方式だった【UPDATE】

 全国で30%…。

 

この数字、わたしは、これから時が経つにつれてさらに減っていくと思っています。なぜなら、戦争・原爆体験した人はどんどん減っていく一方だから。

 

1945年に10歳だったわたしのおばあちゃんは今82歳。当時20歳の人は92歳、ですよ。つまり、もうすでに、当時幼い子供、または若かった人たちしかもういないんです。

人はどんなに長生きしたって、いつかは死んでしまうんだもの。

 

原爆を経験した人たちからの生の声がもう途切れかけているんです。

もちろん、原爆や第二次世界大戦については社会の教科書に載っているかもしれない。でもそれだけではきっと、現実味がない「歴史」になってしまう。遠い昔の、自分に関係のない時代におこった出来事になってしまう。

  

だからね、私思うんです。

あと十数年もすれば、第二次世界大戦や原爆を経験した人は日本にはいなくなる。

だから、72年前に起きた出来事や人々の思いを、今を生きる人、一人一人がちょっとでもこの歴史に触れて、考えて、次の世代に伝えていかなきゃいけないなって

 

あなたは広島で生まれ育ったから、そんなに「原爆」について発信したいんでしょう?ってい思う人もいるかもしれません。

 

そうです。私は広島で生まれ育って、きっと人よりそういう平和学習についての機会があったから、もっと日本のみんなにこの出来事を覚えておいてほしいと、思うんでしょう。

 

でもこうやって、その歴史を「覚えている人」「知っている人」が発信することで、「あ~。今日は原爆の日か」って、知らない人にも、覚えてなかった人にもリマインドする機会になると思うし、その「思い出す」「知る」作業が、平和を維持するためのひとつの方法でもあると、わたしは思うんです。

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いま日本人の皆さんと考えたいこと。

わたしは戦争について経験した身ではないし、話を聞いたことしかない。それにいま日本は戦争もしていなくて、平和に見えます。

 

でも72年前当時、たくさんの人が一瞬にして命を落とし、大切な人を失い、その後も身体的にも精神的にも苦しんだという事実は変わることはない。

そしてその悲しみや苦しみに耐え、日本の復興のためにと立ち上がり、未来の日本の平和を願い、今の日本を再び作り上げてくれた人たちがいたからこそ、私たちは今ここに、平和に生きていることができるんです。

 

池上彰さんが出演する番組で、「なぜ世界から戦争がなくならないのか」という内容のものを見たことがあります。

その理由の一つとして「戦争はいいビジネスだから」といわれていました。確かに、戦争の準備として、銃などの兵器、航空機などを作って売ることによって儲かっている会社だってある。

戦争は最高のビジネス。それでいいんでしょうか。

 

多くの犠牲を払って学んだ日本。

もう絶対に同じことを繰り返さない。

そのために私たちは、72年前に起きたことを忘れてはいけない。

「思い出す」「知る」作業が、平和を維持するために、私たちが個人でできるひとつの方法だと、私は思います。

 

1年の中でこの時期だけでもいい。数日でもいいから、考えてみませんか?

「戦争」って何だろう。「平和」って何だろう、と。

そして、その日を覚えていたなら、その出来事について何か少しでも知っていることがあるなら、ぜひ周りの人に教えてあげてほしいなと思います。

 

72年前。

人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。

その3日後に長崎に投下された原子爆弾が、人類史上最後になることを祈ります。

 

8月15日は終戦記念日

8月15日は終戦記念日です。

ぜひ、みなさんもこの機会に思い出して、考えてみてください。

戦争の悲惨さと、平和のありがたさを…。

 

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