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あの時の記憶と感情を、色鮮やかなまま持っていたいんだ。

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ジンバブエの子どもたちとわたしの、心に残る3つのエピソード

今回はですね、わたしが青年海外協力隊として2年間、ジンバブエで活動していた時のお話です。

 

現在、ジンバブエを離れて数カ月が経ちますが、ジンバブエで過ごした2年間はわたしの中でまだまだ鮮明に残っています。

 

ただ、これから、せわしない日本社会で生活していく中で、今わたしが持っている記憶が、頭の中からこぼれ落ちていくのはいやだし、ジンバブエでその時に抱いた感情や感動が、心の中から消し去られてしまうのもさみしいなって思うんです。

 

だから今回は、わたしがジンバブエの学校で活動する中で起きた、子どもたちとのエピソードを3つ、ここに書き連ねておきたいなと思う次第です。

 

本当は3つと言わず、もっと書きたいことはあるんです。

山ほど経験させてもらったし、感情的にもなった。でも今回は3つだけ。

それでは今回もどうぞよろしくお願いします!

 

目次

わたしがジンバブエでしていたこと

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まずはじめに、わたしのことを知らない人に、わたしがジンバブエで何をしていたのかということを少しだけ話させてもらおうかなと思います。

 

わたしは、大学を卒業してすぐに、青年海外協力隊としてジンバブエの首都ハラレに派遣されていました。任期は2年間です。

ジンバブエでは、首都の街にある、障がいがある子どもたちが通う特別支援学校に配属され、現地の教員にまざって、図工の先生をしていました。

ちなみに、大学ではリハビリ系の勉強をしていたので、教育現場に立った経験はゼロでした。

 

さて、簡単に言うとこんな感じですが、もっとわたしの2年間について知りたい方にはこちらの記事がおすすめです。

ジンバブエでの2年間の活動報告

www.saoriooka.com

 

 

協力隊時代のエピソード:学校編3選

それでは早速、私がジンバブエで経験して心に残ったエピソード3選。

 

アフリカ大陸の南部にあるジンバブエ共和国

その首都ハラレに1つの特別支援学校があります。肢体不自由、視覚障がい、聴覚障がい、知的障がいなどがある子どもたちが通う学校です。

その学校には寮が併設してあり、約半数の子どもたちは寮に寝泊まりしています。

そこでわたしは、図工の授業を行っていて、子どもたちはわたしのことを「おーか」と呼んでいました。



一緒にケラケラ笑った放課後。盲の女の子との話

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「ねえ、おーか!わたしも図工をしたい!」

 

わたしが学校で図工の授業を行っていたのを寮でお友達から聞いたのか、小学2年生の女の子がわたしの腕をもって言った。

 

その女の子は生まれつき、全盲。目が見えない。

他の人のように目で見ることはできないけれど、歌が好きで、とても活発な子。

 

その女の子が私に言った。

「おーか!わたしも図工がしたい!」

 

当時わたしは、目が見えない子ができる図工のアイデアに頭を抱えており、学校の授業でさえも何をしたらいいだろうと悩んでいた。

 

「…どうしよう」

 

子どもから「図工がしたい」と言われては、断ることもできないし、それよりなにより、その子ができることを探して一緒にやりたい。そんな思いだった。

 

「でも、視覚を使わずにできる図工は何か。」

 

迷って迷って迷って、ネットで調べ上げたけれど、少し目が見える子に対する図工や、粘土を使った図工の案などがネット上には多く、全盲の子に対する図工で、ジンバブエでできそうなものは見つけられなかった。

 

見つけられないのは仕方がないので、

素直にその女の子に聞いてみた。

 

「図工って、何がしたい?」

 

すると彼女はこう答えた。

「なんでもいい!!!みんながやってるやつ!」



…なんでもが一番困るんだよ~と言いたいところだけど、これまで図工をしたことがなかった彼女には、図工で何ができるのかもきっとわかっていない。

 

そういうことならと、とりあえず、当時周りの子たちがやっていた塗り絵や貼り絵を一緒に私がついてやってみることにした。

 

学校が終わった、放課後の寮で。



寮の子どもたちが、わたしが与えた図工の課題をする中、わたしとその全盲の女の子は、ダイニングのテーブルの角に腰かけ、一緒に塗り絵をはじめた。

 

もちろん、その子は目で色を見ることはできないのだけれど。

 

クレヨンを握りしめた彼女は、それが何色かをたずねた。

はじめはわたしが彼女が持っていたクレヨンの色を教えていたのだけど、わたしたちとその女の子が色塗りをしていることに気が付いた周りの寮生達が、わたしが答える前に、その女の子に色を教えてあげるように…。

 

「それは赤色だよ!リンゴの色!」

「それは紫色だよ!ブドウの色!」

「それは白色だよ!いつも食べているサザの色!」

※サザ:ジンバブエの主食でトウモロコシの粉を練ったもの

 

すると、お友達から色を教えてもらったその女の子は、すごく楽しそうにクレヨンを握って、A4の紙を左手でしっかり押さえ、ぐるぐると紙に線を引いていく。

 

「できた!アイスクリーム!」

 

ただただ純粋な笑顔をわたしに向け、ピンクやらきいろのクレヨンで殴り書きをした1枚の紙を自信満々に見せるその女の子。



ああ。これでも楽しんでくれるんだ。



じゃあ、これは?あれは?

 

とりあえず、この子なら何でも楽しんでくれるかもしれない。いろいろやってみよう。

 

そう思って、わたしは、授業とは別に、その女の子用に図工のレシピを考る。

学校に申請して絵具を買ってもらい、指で描いてみたり、豆を買ってきて、魚の形をした枠の中に豆を貼ってみたり。

 

できるだけその子が、視覚以外の感覚を使って楽しめることを。

 

放課後の時間がすごく楽しかった。

わたしが図工の材料をもって寮のダイニングに入ると、その女の子はわたしの横の席に腰かける。他の子どもたちは彼女はそうするべきだと席を譲る。

 

なんて優しい子たちなんだとわたしの心はふんわり温かくなる。

 

その女の子に、A4の紙をクレヨンで塗りつぶしてもらったことがあった。

そして私がその紙を500円玉ほどの大きさに丸く切り取って、その女の子に手渡す。

 

「どっちがクレヨンで塗った面でしょうか~」

 

わたしが質問をするとその女の子は、真剣に手で紙を触り、紙にクレヨンが塗られた後のパサパサして、でこぼこした感覚を指先で感じようと紙を触る。

 

「こっち!!!!」

 

「残念でした~」

 

「こっち!!!」

 

「せいかーーーーーい!」

 

その答えが間違っていても正しくても、2人でケラケラ笑っていた。わたしたちだけじゃない。周りの子どもたちも笑っていた。

子どもたちが笑うと、部屋中が淡いオレンジと黄色の水性絵の具のような色に染まる感覚になる。

 

そんな風に、指先で感じる練習をして、紫色のクレヨンで塗りつぶした紙を丸く切り取って、ブドウの貼り絵を作ったこともあった。

 

わたし「紫ってなんの色だと思う?」

女の子「ブドウ!!!!」

 

わたし「この形は何の形でしょう~」

女の子「まる?四角かな!いやまるかな!」

 

わたし「残念だけどそっちは裏面です!!!」

女の子「嘘だね!こっちが表だね!」



わたし「糊ここに置いてるから自分で取って使ってね!」

女の子「それくらいできるよ!」



わたし「もうちょっと右!いや、ごめん行き過ぎた!左!そこに貼って!」

女の子「おーかが右っていったんじゃーん!!!」

 

そんな風に視覚的な指示ができない分、手を持ったり、身体に触れる機会や、言葉でのコミュニケーションも多かった。

たくさんケラケラ笑って、こころの底から楽しかった。自分も周りも、全部全部、あたたかい雰囲気につつまれていた。

 

ありがとう、わたしと一緒に成長してくれて。 

 

 

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「これなら僕にもできる」小学1年生の男の子の話

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「図工の授業を受ける代わりに、パソコンで勉強してもいい?」

 

そうわたしに言ったのは小学校に上がる前の男の子。

その子は、生まれつき身体に麻痺があって、両腕を同時に前に持ってきたり、指をそれぞれ動かしたり、スムーズに歩くことができない。



その子が図工の授業の代わりパソコンを使いたいというのなら。

 

と、私はその男の子に、他の子たちが図工をしている間、パソコンを使って勉強することを許可していた。

 

どうしてその子が図工の授業を受けたくないのかという理由については、正直に話すと、わかってた。

 

わたしが提供する図工の授業は、その子にとって難しかったし、それに1人で15人ほどの肢体不自由がある子どもたちのクラスを回していたわたしは、ひとりでは全員の作業を手伝えず、放置になってしまう子も出ていたのも事実だったんだ。

 

彼が図工をしたくないのもわかる。

 

与えられた図工の材料を渡されたところで、一人じゃできない。わたしを呼んでも「まって」と言われる。それなら、パソコンで勉強しよう。

 

そうなってしまっているというのは心の奥でわかっていた私は、自分の実力のなさに落ち込んで、子どもに迷惑をかけるくらいなら好きな方をやってもらおう。と、図工の授業中のパソコンの使用を許可していた。



ある月曜日の8:30。その日は先ほど挙げた男の子がいるクラスの授業の日だった。

少しだけど、わたしはその男の子でもできる授業を考えて、材料をもってクラスへ向かった。

 

台紙、絵具、水。

子どもたちの人数分の材料を両手いっぱいに抱えていつもどおり廊下を速足で移動するわたし。

 

今日こそは。

 

毎週月曜日の朝は、その男の子がいるちびっこクラスで元気をもらえる日。同時に、授業がうまくいかずに落ち込む日。

 

クラスに入って、ちびっこ達といつも通り「はじまりのうた」を歌って、今日の授業の説明をする。デモンストレーションで実際にやっても見せる。

 

わたしが事前に茶色のクレヨンで木の幹を描いた台紙を、子どもたち一人ずつに配り、絵具を3色渡す。

 

指先に絵具を付けて、スタンプのように紙に押し、カラフルな木を描こう!という図工の内容だった。

 

ちびっ子たちは、久びさの絵具に大はしゃぎで、予想通り、わたしは一人、ちびっこ達を補助して回りながらバタバタだった。

 

すると、

 

授業の終盤、ちらほらと絵が完成した子どもが出てくる中、図工の授業中はいつもパソコンで勉強をしていた、その男の子が私を呼んだ。

 

「おーか!みて!」

 

「これなら僕、一人でもできる。」

 

わたしにそういって、麻痺でひらかない手の指先に、器用に絵具を載せ、紙に押すところを見せてくれた。1つ押してはわたしの顔を見上げて、笑う。

 

付き添いで来ていたその男の子のお母さんが、その様子を見て、嬉しそうに微笑む。

 

「できたね」

 

そんなお母さんを見て、わたしは目頭が熱くなる。

 

その男の子が本当に望んでいたのは、図工の授業中にパソコンをすることじゃない。他の子どもたちと一緒に図工をすることだった。

 

ごめんね。もっと早く、わたし、頑張ればよかった。考えればよかった。向き合えばよかった。ありがとう、大切なことを教えてくれて。

 

わたしは図工の先生になりたい。と言ってくれた女の子の話。

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配属1年目の終わりごろ、わたしの同僚がジンバブエ中の特別支援学校の子どもたちが参加するイベントを開催してくれた。

 

そのイベントでわたしは子どもたちの夢を集める、というプロジェクトを実施しようと、段ボールや新聞紙を使って、大きな木を作った。

子どもたちは、花の形に切り抜かれた折り紙に自分の夢を書き、わたしが作った木に貼り付けて夢の花を咲かせようという企画。

 

▼子どもたちの夢を集めた木のお話

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そのイベントで、わたしが配属されている特別支援学校に通う、5年生の女の子が、友達に車いすに押してもらい、わたしのところにやってきて、

 

「わたしも夢を書きたい」

 

そういった。

その女の子は、身体全身の麻痺が強く、一人では立つこと、座ること、何かを握ること、食べることなどができない子だった。

だけどその女の子は、いつも私を見かけては「おーか!」と名前を呼んでくて、自分のことや友達のことを話してくれる。

 

自分でペンを握ることはできないが、授業も真面目に聞き、とても優秀な子だった。

 

その女の子が、同僚が開催した特別支援学校の子どもたちを集めたイベントで、わたしのところにやってきて、自分も夢を書いて木に貼りたいといった。

 

彼女に好きな色を聞いて、ペンを選び、彼女の夢を聴いて、わたしが彼女の代わりにお花型の折り紙に彼女の夢を書いた。



「モデルになりたい」



純粋に素晴らしいと思ったし、応援したいと思った。それに、勝手に少し安心した。

障がいがあるからできる仕事はこれ。

 

そんな風に、誰に決められたのかわからないような世界に彼女は生きていなかった。純粋に、かなえたい夢があったんだ。子どもから教わることって本当に多い。

イベントで使った夢の成る木には、子どもたちの夢が花を咲かせて、控えめに言って、すごく素敵だったし、とっても嬉しかった。

 

 

イベントは無事おわり、わたしのジンバブエでの活動も2年の終わりをむかえる帰国間近。

 

火曜日の10:30だった。その女の子がいるクラスを担当している日。たまたま子どもたちの作品作りがはやく終わったか何かで、子どもたちが外に手を洗いに行った。

 

その時私はその女の子と2人きり、教室で後片付けをしていて、その女の子はわたしに話しかけた。

 

「おーか!」

 

「なに?」

 

「こっちに来て」

 

わたしは、その女の子が横になっていたマットの横にしゃがんだ。

 

「わたし、おーかみたいな図工の先生になりたい。」



わたしみたいな

図工の先生に?



「子ども達と一緒にいろんなものを作れて、優しくて、面白い。図工の先生」

 

そう言ってくれた。

大きな瞳でわたしを見つめて、そう夢を語ってくれた小学5年生の女の子。

 

2年間私はその子にたいした図工の授業をしてあげられなかった。

他のクラスメイトがモノづくりをしている中、わたしはただその女の子の横に座り、その子が私に代わりにやってほしいことの指示を出し、その通りに私は色鉛筆を選び、描いていく。

 

ただ、それだけ。それだけしかできなかったのに。それなのに、わたしみたいな図工の先生になりたいって。そう言ってくれた。

 

涙で目の前がにじんでしまって、その女の子の大きな瞳を見ていられなかったので、

 

「なれるよ!じゃあ今しっかり私がやってるところ見ててね~!」

 

と明るいトーンで言ってわたしは立ち上がり、子どもたちが床に散らかした色鉛筆を拾ったんだ。



おわりに

ジンバブエにいるときから、「これは覚えていたい」と意識しながら景色や子どもたちの表情を見るようにしていました。

 

初めて教員として子どもたちと関わり、はじめは戸惑ってばかりだったけど、わたしと一緒に成長してくれた生徒。たくさんのことを教えてくれた生徒。本当に感謝しているんです。

 

一方で、子どもたちに一から教わったジンバブエのショナ語も、ジンバブエの手話も、英語の点字も、彼らとの思い出も、記憶の棚から少しずつこぼれ落ちていく。彼らの名前ですら、ぱっと出てこなくなっていく。



数カ月経った今も覚えていられるくらい鮮明な記憶も、いつかはきっと、「なんかあのとき嬉しかった。」「なんかあのとき感動した。」そんな一言で終わってしまう。

 

それはどうしてももったいない気がして、さみしい気がして、今日、わたしはこのブログに書き連ねました。

 

わたしはあの時の記憶と感情を、色鮮やかなままで持っていたいんだ。

 

 

 

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