Beautiful Sky∼せんせいあのね∼

新卒ペーパー作業療法士、アフリカの特別支援学校で図工の先生してます。Dance for everything! 人生にエッセンスを…♡

母の日も過ぎたところで、私のお母さんの話をします。

Masikati!(こんにちは)

おーかです(´・ω・`)

 

今日は、題名の通り、母の日も過ぎたところで、私のお母さんの話をします。

ちなみに母の日はジンバブエも同じ日でした。世界共通なんですね!知りませんでした!

今回はかなり個人的な独り言感もありますが、どうぞよろしくお願いしますm(__)m♡

 

私のおかあさん

私はお母さんのことを「母さん」と呼んでいます。兄も同様、「母さん」と呼んでいます。

私のお母さんは、英語の先生をしています。

よく、私が小さいとき、務めていた学校に私を連れて行ってくれて、母さんが働いている場所を見せてくれました。私は小さかったのでその学校の生徒や先生たちにかわいがってもらって嬉しかったのを覚えています。

 

私が小さいとき、お兄ちゃんとお風呂で遊んでいて、バスタブのお湯を全部抜いてしまい、母さんをキレさせてしまって、体が凍るほど怖かったのを覚えています。

 

小学校の入学式、他のお母さんたちはスーツのような服だったのに、母さんだけ和服でした。

 

私が小学1年生の時、クラスの女の子たちの輪に入れないから休憩時間にすることがないと、目に涙をためて相談した夜、母さんは絵を描くための自由帳を1冊持たせてくれました。

 

私が低学年のころ、クリスマスには家で友達を呼んでクリスマス会ができるようにと、一緒に計画をして、準備をしてくれました。なんだか私が主催者になった気分で、ちょっぴり鼻が高かったのを覚えています。

 

私が小学生のころ、やっぱりよくある女の子間のいざこざも、家でいつも慰めてくれて、アドバイスをくれて、支えてくれました。

 

私が小学校を卒業する春、英語もほとんどしゃべれない私を、親元を離れた、オーストラリアに出してくれました。日常会話のフレーズを、ノートに日本語と一緒に書いて持たせてくれました。2週間がすごく長く感じて、ホームシックで泣いていた私だったけれど、そこから私の世界は変わりました。

 

中学生のころ、よく2人で買い物に行って、そのあとランチをして帰りました。あの時間が、本当に大好きでした。

 

私が中学生のころ、「引き寄せの法則」や「鏡の法則」なんて言うのを教えてくれました。私は単純な奴だったので、心の底からそれを信じていて、すごく生活が楽しかったのを覚えています。

 

私が中学生のころ、地元から2駅離れた地域の大きな塾に通わせてくれました。塾によく車で迎えに来てくれて、一緒に母さんが好きなアーモンドチョコレートを食べながら帰りました。

 

私が高校生のころ、偶然にも私の通う高校と母さんの勤務先の中学校がかなり近くなりました。なのでよく朝、車で40分かけて学校に一緒に行きました。私は後ろの席でよく寝ていました。

 

私が高校生のころ、ダンスを始めたいという私に、自分の教え子から情報をもらって、ダンス教室へ連れて行ってくれました。夜遅くなっても、父さんと交代で駅まで迎えに来てくれました。

 

大学受験の時、好きな大学を受けさせてくれました。大学受験は受験料に宿泊費、交通費などたくさんお金がかかるのを私は知っていました。でもお金については心配いらないと言ってくれました。私は、絶対に国立大学に合格しようと、そう決心しました。

 

高校卒業の時、卒業文集には、親からの手紙が匿名で載っていました。私は母さんのをすぐに見つけました。なぜなら手紙の題名を英語で書いていたのはあなただけだったから。

 

大学入試前期試験は一緒にホテルに泊まって、緊張する私を気遣って、近くでご飯を買ってきてくれました。ホテルで一緒に食べました。

 

長崎の大学が決まって、一緒に長崎に家を探しに行ってくれました。後期での入学だったので入学式まで時間がなくて、大急ぎでした。大学の位置を一緒に歩いて確認したり、一人暮らしの家の掃除や作り置きのごはんをたくさん作ってくれていました。

 

私が大学2年生の時、母さんは日本人学校の先生としてインドネシアに飛び立ちました。一度落ちたと言っていた試験でした。もう一度チャレンジして受かったみたいです。50歳でした。

 

私が大学3年生のころ、母さんに会いにインドネシアに行きました。いつもの母さんが私を迎えてくれました。強そうで、楽しそうで、ちょっとお茶目な、そんな母さんが迎えてくれました。1か月のアジア一人旅の後だったので、母さんにあったときはすごく心がほっとしました。その日はよく眠れました。

 

大学4年生のころ、進路を迷っていた私に、協力隊という選択肢をくれました。大学の同級生とは全く違う道に進もうとする私を、インドネシアから応援してくれました。

 

そしてこのまえ、3年の任期を経て、インドネシアから無事帰国しました。私がじいちゃんとばあちゃんのもとを離れて、すごく心配しているのを知ってか、よくじいちゃんばあちゃんと一緒にどこに行ったよ、とか、最近どうだよ、と連絡をくれます。

 

母さんはずっと私の父さんのことが好きで、すごく仲良しです。喧嘩もしているけど仲良しです。こんな夫婦になりたいなと、理想の夫婦像になりました。

 

私のお母さんは、強くて、たくましくて、ちょっとお茶目で、ちょっと抜けたところもあって、いつも私を支えてくれて、励ましてくれました。そして、友達みたいなお母さんです。

 

私のお母さんは、いつのときも私に新しい世界を見るたくさんの選択肢を与えてくれました。

 

私のお母さんは、「何歳からでもチャレンジできる」ということを、実際に自分でやって行動で私に示してくれました。

 

かっこいい、尊敬できる、大好きな、自慢の私のお母さんです。